話のしずく 第二滴

第3話

知りながら争っている

 敗戦は半世紀以上前のことになりました。沖縄でその年の6月、7歳の少女がただ一人、白い旗をかざして洞窟からアメリカ軍の前にあらわれ、隠れていた人々と共に助けられました。その様子がアメリカ軍の手で撮影され、今、残されています。43年後、その少女は比嘉富子さんであり、健在であることもわかりました。

 白い旗を掲げたのは、抵抗しない、降伏するという意思を表しています。極限の状況にあって白い布がよくあったものだと不思議ですが、紹介している書物によると、いっしょに避難していたあるおじいさんのふんどしをさいてそれに代えたのだとあります。

 また、同じく沖縄で「うつろな目をした少女」という一枚の写真があります。これも米軍が撮ったもので、それを目の前においてこの文章を書いていますが、血みどろのシャツを着た、オカッパの少女が地面に座っています。顔に傷があり、右手は細い紐でつってあります。肩の骨、両足、顔などの怪我は日本のに兵隊にやられ、そこにはウジがわき、右目が見えなくなりつつあったといいます。この方も健在で、大城盛俊さん。少女に見えていましたが、実は男性でした。

 二枚の写真の悲惨な実話から戦さは、ぜったい起してはならないと決意させられます。実際、いつの時代にもそう決意したのでしょう。しかし、戦争は何度もおきている。なぜ、そうなるのかは、昨日、今日の私どもの日常生活を省みるとわかります。

 家庭で隣近所で勤め先の中でいかに争いがよく生じているか。利害を越え友人となる心、困っている人を無視できない心、そのようにすることにより自分も他者も喜び、好ききらいの区別にとらわれないこころを育てるべしとする教えが仏教にあります。

 「四無量心」(慈悲喜捨)です。私はそれらをよく知りながら争いをおこしています。悪業深い一人です。

第2話

個からの出発

 旧聞に属しますが、「某教団」の教祖は当時、「1億総オウムになる」と告げたそうで、このよう集団では、どこも似たようなことを広言するものだと感心します。というのも、現在、信者の数が多いと豪語しているある宗教団体が、一時期、さかんにこれと同じことを吹聴していました。

 大臣が入信した、いずれ皇室も信仰に入ることになり、日本の国教になるのだと寺にやってきたものがいうのに、若かったものですから、入信を思いとどまらせようとむきになって反論したため、かえって向こうへ追いやった苦い経験をもっています。

 キリスト教のある一派の人たちが定期的に私たちの地域を廻っています。複数で訪れ、時には、家族でしょうか、子づれで見える。私どもの禅宗の寺へもきちんとこられる。そして、パンフレットをだし、こちらに客があろうが、庭掃除をしていようが気にすることなく、説明に入ります。この伝道の姿勢には、驚くばかり。

 ただしかし、数の多少によって信心、信仰の浅さ、深さが計られているとすれば、それは、真実のものではありますまい。

 巨大なグループに身をまかせていると、ともかく安心するというところがあります。だが、なんらかの原因でそのようなグループが解体すると、個人の信仰も崩れます。そのような例は、少なくありません。

 信心とは、何ものにもとらわれることなく、主体的に生き、悠々と生涯を終えていける確固たる自己を築くことにあります。集団の力で左右されるものではありません。

 個人が救い、救われる。それが出発であり、また終りです。

第1話

スタッカートもクレッシェンドも気にしない

 孫がピアノを習っています。楽しく弾ける、そんな技術と完成を育ててほしいと願っています。もう40年も前になりますか、中学校の音楽指導を我流で行っていて、冷汗三斗の思いのできごとがありました。

 町の音楽発表会でシューベルトの子守唄を伴奏していて指が運ばず、それをきっかけに次々に崩れていきました。大恥かいている自分にご苦労さまと声をかけられ、なおさらに沈みこんだ。それも練習不足というより、正しい運指法が身についていなかったため、無理な弾きかたをしていたのが原因でありました。

 爾来、少々間違いがあってもいいやと開きなおり、一緒に歌うことのほうが大切だとばかり、音楽の時間は生徒をピアノの周りに呼び寄せて歌ってばかりいたのを思い出します。もう、ほら、スタッカートだ、クレッシェンドだとやかましく言いませんでした。一々指摘すると萎縮して、おおらかな、のびやかな歌や演奏にならないと考えたからでした。

 ところで、かの有名なバッハが書いた譜面には、音符以外の、たとえば、ピアノとかフォルテなどのことは、なにも書いていないのだそうですね。そうですねと他から仕入れざるを得ないところに我流ピアノが顔覗かせているのですが、バッハの時代は、常に作曲者が演奏家であり、他人のために譜面を書いたのでなく、即興的な演奏が主流でありました。

 だから、この音はこのように演奏しろと指示する必要がなかったのです。指示どおりきちんと弾かねばと、気にし気にして学ぶよりはまず楽しく演奏すればいいということになる。本来の音楽とはそういうものでしょう。とすれば、件の音楽指導もそう大した誤りでなかったのだと慰められます。

 当時の中学生は、今、還暦の大台に乗っていますが、カラオケがうまいのは、そんな授業を経験したからでしょうか。